比べるのは昨日のピノッキオ=ME

40代後半でギャンブル依存&モラハラ夫と離婚、50代おひとりさまのおっかなびっくりはじめの一歩

依存症の正体ー元夫との生活7

 

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やめられない心


子供が中学校にあがると、自分の時間が増え、私はいろんな自助グループに参加するようになっていました。

共依存症、AC、ACODA、アルコール依存症の本人、アルコール依存症者の家族このような自助グループに参加させていただき、自分の問題点に取り組むきっかけになりました。

自分の共依存に取り組み、少しずつ人との関係に境界線を引けるようになり、ほんの少しだけど、私の生き方が変わることに、元夫は拒否反応を起こしているようでした。このころから、夫婦間の小さな衝突が増え始めます。

元夫は、子供が少年団を卒団すると、中学校の部活動をわざわざ見に行きました。子供の仲間の文句を言ったり、学校の先生や、部活の顧問のことをいろいろ悪く言います。

ちょうどそのころ、発売された本が
クレイグ・ナッケン著
「やめられない心」依存症の正体
です。

この本では、

やめられない心=アディクション

として、アディクションの正体とアディクションが人に及ぼす変化を段階を追って明らかにしています。

そして、アディクションは以下の2つのタイプに分けられるといいます。

・快感追求型
 (苦痛や不安を避けるために
  快感を求めてアディクションをする)
・力(権力)追求型
 (コントロールと自分の正しさを得るために
  アディクションをする)

その当時、私が行っていたギャマノンの家族のギャンブラーのほとんどは快感追求型で、不安などから逃げるために快感を得ようとして、ギャンブルをしていたのに対し、

私の元夫は、周囲に対するコントロールを得ることと、自分が正しいということを証明することが目的でギャンブルをしていたので、ギャンブルをやめたら、より簡単な悪口や暴言の方にアディクションをシフトさせていたわけです。

そのころ彼に、もう悪口は言わないでほしい。とお願いしましたが、「ああわかった。もう言わない」と言った翌日には、もう子供の友達の悪口を言っていました。


悪口も彼にとって大切なアディクションです。ギャンブル以上にやめるのが難しく、高揚感が得られたのだと思います。「やめられない心」に書いてあった通り、症状が徐々に進行していたのです。

 

共依存症の正体


もはや私にとっては、彼がいかに人に迷惑をかけずにすむかということが大事なことになりました。というのも、彼の、自分が正しい、周りをコントロールしたいという欲求が職場を超え、家族を超え、学校の父母や先生に及びだしたからです。

PTAの父親の集まりに行って、序列を持ち出して自分が上に立とうとしたり、先生に上から目線でものを言ったり、モンスターペアレントぎりぎりの行動が始まりました。私は、PTAの集まりのお知らせの書類をあえて彼に見せなかったり、彼が学校に関わらないように、手を回しました。それに気づいた彼は激高し、悪口とコントロールのアデイクションの矛先が私に向けられるようになりました。

例えば、冬の朝、「今日は寒いね」と私から声をかけると、「冬だから当たり前だろ」
と言われたり、おはようの挨拶も返してくれなくなり、1週間口を聞かなかったり。突然話すようになったと思えば、人の悪口だったり。家の中では無視されることが増えていきました。

このころ、なによりつらかったのは、人前で仲のよい夫婦のふりをしていることでした。家では、何日も口を聞いていないのに、人前に出ると、元夫はわざと愛想よく私に話しかけます。

彼はおしゃべりが上手く、社交的で、自分からどんどん周りの人に話しかけるタイプです。学校行事にも積極的に参加し、少年団の活動もしています。私は、そんな彼の家での様子を他人に打ち明けることができなかった。

いつも「お宅のご主人はいいお父さんですね」とほめられていたので、「家では口も聞かず、ようやくしゃべったと思えば、あなた方の悪口を散々言って困っているんです」なんて、相談できなかった。

今になって思えば、私の行動は、アルコール依存症の家族の行動と同じです。お酒で失敗しないように、お酒を隠したり、飲まないよう懇願したり、家でうっぷんをはらされても我慢したりすることと同じ。
「お酒」が「悪口」に変わっただけで、私の行動は夫の悪口に対する共依存でした。

私はいろんな自助グループに通って、自分の共依存症に取り組んでいたけれど、それは、夫以外の人間関係についてで、夫との関係は共依存のままでした。私のアディクションは夫そのものだったのです。